CASE 05

ドゥマゲッティの海岸で、美しい山と海を見つめる、子供二人と母親の後ろ姿

中学卒業後、ドゥマゲッティで高校生活を2年間
日本とは違う環境の中で、一人で暮らした高校生

日本の中学校を卒業した後、ドゥマゲッティのシニアハイスクールへ進学した生徒がいました。

フィリピンの学校制度では、日本の中学生にあたるジュニアハイスクールが4年間あります。

一方、日本で中学校を卒業したことを証明できれば、フィリピンではシニアハイスクールへ進学することができます。

つまり、日本で中学校を3年間終えた後、こちらではシニアハイスクールの2年間で高校課程を修了するという進み方です。

そのため、こちらで高校を卒業して日本へ帰国すると、日本の同級生たちはまだ高校3年生として学校に通っていることになります。

これは、日本とは少し違った進路の選択肢です。

「どれくらいで、ここになれるんですかね?」

最初に印象に残っているのは、こちらに来たばかりの頃に本人から、

「どれくらいでここになれるんですかね?」

と聞かれたことでした。

これから始まる2年間の高校生活を前にして、本人なりに新しい環境を考えていたのだと思います。

この留学は、ご両親の選択肢の一つとして始まったようですが、本人も積極的だったように感じました。

将来のことをイメージしているような話を聞くこともありました。

単に「海外に行ってみたい」というだけではなく、これから先のことを考えながら、この進路を選んでいたのかもしれません。

高校生活を、ドゥマゲッティで

学校名はここでは伏せますが、本人は現地のシニアハイスクールへ進学しました。

最初はもちろん、日本とは違う環境です。

学校生活だけでなく、住む場所も、周囲の人間関係も、日常生活のルールも違います。

寮生活について細かく聞くことはあまりありませんでしたが、

「食事があまりおいしくない」

と話していたことは覚えています。

また、外出許可などのルールも比較的厳しかったようです。

日本の高校生活とは違う環境の中で、本人は少しずつ自分の生活を作っていきました。

友達ができると、少しずつ日常になっていった

最初の頃には、

「どれくらいでここになれるんですかね?」

と話していた本人ですが、その後は友達もでき、学校生活も問題なく楽しんでいるようでした。

最初は「海外で高校生活を送る」という大きな環境の変化だったものが、時間が経つにつれて少しずつ日常になっていったのだと思います。

2年間という時間があったからこそ、最初の緊張だけで終わらず、その場所で人間関係を作り、自分の生活を築いていくことができたのではないでしょうか。

DEECの役割は「生活を代わりにすること」ではない

このケースでのDEECの役割は、一般的な短期留学のサポートとは少し違いました。

基本となったのは、現地保護者代理人、いわゆるガーディアンとしてのサポートです。

学校行事があれば保護者として参加する。

学期が変わる際など、学校から保護者の署名が必要になれば対応する。

学校から連絡があれば、その内容を確認して必要な対応をする。

そうしたことが、2年間の現地でのサポートでした。

一方で、普段の生活については、本人がしっかりと自分でやっていました。

私たちが本人の生活を代わりにするわけではありません。

必要なときに、現地で保護者として対応できる人が近くにいる。

その状態を作っておくことが、このケースでは大きな役割だったと思います。

私たちは「サポート業者」ではなく、何かあったときの存在だった

この2年間を振り返って、私自身が感じたことがあります。

私たちは、このご家族にとって「何でもやってくれるサポート業者」だったわけではなかったのではないかと思います。

普段の生活は、本人がしっかりと自分でやっていました。

学校に通い、友達と過ごし、自分の生活を自分で作っていく。

私たちが毎日の生活に入り込む必要はありませんでした。

ただ、何かあったときには連絡できる。

必要であれば、すぐに会いに行ける。

学校から連絡があれば、現地の保護者として対応できる。

そういう存在が、近くにいる。

振り返ってみると、私たちは「サポート業者」というよりも、何かあったときの保険のような存在だったのかもしれません。

もちろん、何も起こらないことが一番です。

でも、海外で高校生活を送る本人にとっても、日本にいるご家族にとっても、

「何かあったら、すぐに連絡できる人がいる」

ということは、大きな安心につながるのだと思います。

そして、そのためには「現地に住んでいる」ということが、とても大きい。

電話やメールだけではなく、必要なときには実際に会いに行ける。

その距離の近さこそが、私たちが提供できるサポートの一つなのだと、この2年間を通して感じました。

フィリピンの高校に投稿する男子生徒の後ろ姿のイメージ画像

2年間で、見違えるほど逞しくなった

そして、2年間を終えた本人を見たとき、最初の頃とはかなり違っていることに驚きました。

見違えるほどに逞しくなっていました。

特に印象的だったのは、英語での会話です。

2年間の海外生活を経た本人の英語での会話は、私も顔負けだと思うほどでした。

最初に、

「どれくらいでここになれるんですかね?」

と話していた高校生が、2年後にはこの環境の中でしっかり生活し、英語で人とコミュニケーションを取っている。

その変化を身近で見ることができたのは、私にとっても印象深い経験でした。

お母さんとの2年間

お母さんとは、毎月メッセージでやり取りをしていました。

毎日そばにいるわけではありませんが、2年間、現地での様子を確認しながら必要なことを共有していきました。

そうしているうちに、2年間はあっという間に過ぎていきました。

そして卒業の日。

お母さんが現地まで迎えに来られ、そのときに久しぶりにお会いしました。

お土産までいただき、

「2年間安心してやってこれたのは、私たちがこの町に住んで近くにいたからだ」

と言っていただきました。

その言葉は、私たちにとってとても光栄なものでした。

「近くにいる」ということ

この2年間を振り返ると、DEECが何か特別なことを毎日していたわけではありません。

本人は、自分の学校生活を送り、自分の生活を自分で管理していました。

私たちが必要な場面で学校の保護者として対応し、何かあれば現地で動ける。

そして、お母さんとも定期的に連絡を取る。

その積み重ねでした。

海外で高校生活を送るということは、本人が成長するための時間でもあります。

だからこそ、何でも代わりにやってしまうのではなく、本人が自分で生活できる環境をつくりながら、必要なときには現地で支えられる人がいること。

このケースを通して、私はその大切さを改めて感じました。

2年間の高校生活を終えて

日本の中学校を卒業した後、フィリピンのシニアハイスクールへ進学する。

そして2年間、現地で生活しながら高校課程を修了する。

日本とは違う進路ですが、そうした選択肢もあります。

最初は、

「どれくらいでここになれるんですかね?」

と話していた一人の高校生。

2年後には、英語での会話も私が驚くほどになり、見違えるほど逞しくなっていました。

卒業の日にお母さんからいただいた言葉も含めて、私たちにとって忘れられない2年間の一つです。

DEECから

このケースで私が特に感じたのは、長期留学では「学校を紹介すること」だけでは十分ではないということです。

高校生活を2年間海外で送るのであれば、学校だけでなく、現地での生活そのものがあります。

その中で、保護者として学校と関わり、必要なときに現地で対応できる人がいる。

そして、本人が自分の力で生活していく。

その両方があって、長期の海外生活が成り立っていくのだと思います。

DEECにとっても、この2年間は「現地に住んでいるからこそできるサポート」の意味を改めて感じさせてくれたケースでした。

2年間を終えて、私が残った言葉

いつも何かをしてあげることではなく、必要なときに、すぐそばにいる。

それもまた、海外で暮らすご家族にとって大切なサポートなのだと思います。

海外での親子留学移住について、まずはお気軽にご相談ください

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