
中学卒業後、ドゥマゲッティで高校生活を2年間
日本とは違う環境の中で、一人で暮らした高校生
日本の中学校を卒業した後、ドゥマゲッティのシニアハイスクールへ進学した生徒がいました。
フィリピンの学校制度では、日本の中学生にあたるジュニアハイスクールが4年間あります。
一方、日本で中学校を卒業したことを証明できれば、フィリピンではシニアハイスクールへ進学することができます。
つまり、日本で中学校を3年間終えた後、こちらではシニアハイスクールの2年間で高校課程を修了するという進み方です。
そのため、こちらで高校を卒業して日本へ帰国すると、日本の同級生たちはまだ高校3年生として学校に通っていることになります。
これは、日本とは少し違った進路の選択肢です。
「どれくらいで、ここになれるんですかね?」
最初に印象に残っているのは、こちらに来たばかりの頃に本人から、
「どれくらいでここになれるんですかね?」
と聞かれたことでした。
これから始まる2年間の高校生活を前にして、本人なりに新しい環境を考えていたのだと思います。
この留学は、ご両親の選択肢の一つとして始まったようですが、本人も積極的だったように感じました。
将来のことをイメージしているような話を聞くこともありました。
単に「海外に行ってみたい」というだけではなく、これから先のことを考えながら、この進路を選んでいたのかもしれません。
高校生活を、ドゥマゲッティで
学校名はここでは伏せますが、本人は現地のシニアハイスクールへ進学しました。
最初はもちろん、日本とは違う環境です。
学校生活だけでなく、住む場所も、周囲の人間関係も、日常生活のルールも違います。
寮生活について細かく聞くことはあまりありませんでしたが、
「食事があまりおいしくない」
と話していたことは覚えています。
また、外出許可などのルールも比較的厳しかったようです。
日本の高校生活とは違う環境の中で、本人は少しずつ自分の生活を作っていきました。
友達ができると、少しずつ日常になっていった
最初の頃には、
「どれくらいでここになれるんですかね?」
と話していた本人ですが、その後は友達もでき、学校生活も問題なく楽しんでいるようでした。
最初は「海外で高校生活を送る」という大きな環境の変化だったものが、時間が経つにつれて少しずつ日常になっていったのだと思います。
2年間という時間があったからこそ、最初の緊張だけで終わらず、その場所で人間関係を作り、自分の生活を築いていくことができたのではないでしょうか。
DEECの役割は「生活を代わりにすること」ではない
このケースでのDEECの役割は、一般的な短期留学のサポートとは少し違いました。
基本となったのは、現地保護者代理人、いわゆるガーディアンとしてのサポートです。
学校行事があれば保護者として参加する。
学期が変わる際など、学校から保護者の署名が必要になれば対応する。
学校から連絡があれば、その内容を確認して必要な対応をする。
そうしたことが、2年間の現地でのサポートでした。
一方で、普段の生活については、本人がしっかりと自分でやっていました。
私たちが本人の生活を代わりにするわけではありません。
必要なときに、現地で保護者として対応できる人が近くにいる。
その状態を作っておくことが、このケースでは大きな役割だったと思います。
私たちは「サポート業者」ではなく、何かあったときの存在だった
この2年間を振り返って、私自身が感じたことがあります。
私たちは、このご家族にとって「何でもやってくれるサポート業者」だったわけではなかったのではないかと思います。
普段の生活は、本人がしっかりと自分でやっていました。
学校に通い、友達と過ごし、自分の生活を自分で作っていく。
私たちが毎日の生活に入り込む必要はありませんでした。
ただ、何かあったときには連絡できる。
必要であれば、すぐに会いに行ける。
学校から連絡があれば、現地の保護者として対応できる。
そういう存在が、近くにいる。
振り返ってみると、私たちは「サポート業者」というよりも、何かあったときの保険のような存在だったのかもしれません。
もちろん、何も起こらないことが一番です。
でも、海外で高校生活を送る本人にとっても、日本にいるご家族にとっても、
「何かあったら、すぐに連絡できる人がいる」
ということは、大きな安心につながるのだと思います。
そして、そのためには「現地に住んでいる」ということが、とても大きい。
電話やメールだけではなく、必要なときには実際に会いに行ける。
その距離の近さこそが、私たちが提供できるサポートの一つなのだと、この2年間を通して感じました。

2年間で、見違えるほど逞しくなった
そして、2年間を終えた本人を見たとき、最初の頃とはかなり違っていることに驚きました。
見違えるほどに逞しくなっていました。
特に印象的だったのは、英語での会話です。
2年間の海外生活を経た本人の英語での会話は、私も顔負けだと思うほどでした。
最初に、
「どれくらいでここになれるんですかね?」
と話していた高校生が、2年後にはこの環境の中でしっかり生活し、英語で人とコミュニケーションを取っている。
その変化を身近で見ることができたのは、私にとっても印象深い経験でした。
お母さんとの2年間
お母さんとは、毎月メッセージでやり取りをしていました。
毎日そばにいるわけではありませんが、2年間、現地での様子を確認しながら必要なことを共有していきました。
そうしているうちに、2年間はあっという間に過ぎていきました。
そして卒業の日。
お母さんが現地まで迎えに来られ、そのときに久しぶりにお会いしました。
お土産までいただき、
「2年間安心してやってこれたのは、私たちがこの町に住んで近くにいたからだ」
と言っていただきました。
その言葉は、私たちにとってとても光栄なものでした。
「近くにいる」ということ
この2年間を振り返ると、DEECが何か特別なことを毎日していたわけではありません。
本人は、自分の学校生活を送り、自分の生活を自分で管理していました。
私たちが必要な場面で学校の保護者として対応し、何かあれば現地で動ける。
そして、お母さんとも定期的に連絡を取る。
その積み重ねでした。
海外で高校生活を送るということは、本人が成長するための時間でもあります。
だからこそ、何でも代わりにやってしまうのではなく、本人が自分で生活できる環境をつくりながら、必要なときには現地で支えられる人がいること。
このケースを通して、私はその大切さを改めて感じました。
2年間の高校生活を終えて
日本の中学校を卒業した後、フィリピンのシニアハイスクールへ進学する。
そして2年間、現地で生活しながら高校課程を修了する。
日本とは違う進路ですが、そうした選択肢もあります。
最初は、
「どれくらいでここになれるんですかね?」
と話していた一人の高校生。
2年後には、英語での会話も私が驚くほどになり、見違えるほど逞しくなっていました。
卒業の日にお母さんからいただいた言葉も含めて、私たちにとって忘れられない2年間の一つです。
DEECから
このケースで私が特に感じたのは、長期留学では「学校を紹介すること」だけでは十分ではないということです。
高校生活を2年間海外で送るのであれば、学校だけでなく、現地での生活そのものがあります。
その中で、保護者として学校と関わり、必要なときに現地で対応できる人がいる。
そして、本人が自分の力で生活していく。
その両方があって、長期の海外生活が成り立っていくのだと思います。
DEECにとっても、この2年間は「現地に住んでいるからこそできるサポート」の意味を改めて感じさせてくれたケースでした。
2年間を終えて、私が残った言葉
いつも何かをしてあげることではなく、必要なときに、すぐそばにいる。
それもまた、海外で暮らすご家族にとって大切なサポートなのだと思います。
